Steelpan 創世記

さてさて前回は歴史のおさらいをしました。ここでずっと疑問に思っていた
謎が解けたので、お話します。僕が無知だったのかもしれないけど何でカリブ
地域がウエストインディーなのか不思議だった・・・
ハイチやアンティル諸島も一括りに西インド諸島と呼ばれている・・・
実はコロンブスがこの地域を発見した時に、インドの東海岸へ着いたと勘違い
した為だそうだ。コロンブスの地図 そうヨーロッパの地図からは西だからね


Panの話に戻ろう、前回Winston'spree'Simon氏の話をしました。まず1939年に
4Notes Ping-pongの製作の後、9NotesのPing-pong そして1946年に更に広げて
14Notes Ping-pongの製作に成功していきます。この時点で、凸スタイルから、
今のようなボウル状の中にNotesを作るパターンに進化しています。
Trinidad&Tobago Histry and Evolution書によれば、9Notes の時点で写真資料
から今のボウル(すり鉢)状になってることが解ります。
そのことを考えると、Winston'spree'Simonなくしては、今のパンの発展は無い事
がこの後の歴史をたどっても裏付けられるのです。(後述予定)


さて、此処から飛躍的にパンが発展するきっかけが起こります。このSimonの発明
と時を同じくして、第二次世界大戦がはじまります。
1939年この年にイギリスはアメリカ軍と同盟関係にあり、南米にもっとも近い
植民地であったトリニダード島の敷地を99年間のリース契約として米軍駐留を許可
しました。1941年から本格的なアメリカ軍の駐留による特需がトリニダードに好景気
をもたらします。同時に油田の開発も始まり、55ガロンの廃棄ドラム缶が島に登場!
このドラム缶に人々が目をつけないわけはありません。今までよりも大きくて丈夫な
素材が手に入ったわけです。

そして、1945年5月8日ドイツ軍降伏によりVE-Day(Victory in Europe Day)として
また、1945年8月15日 VJ-Day(Victory Over Japan Day)広島と長崎に原爆が落と
され終戦となった日 トリニダードでは国を挙げて盛大なパレードを行いパンも多く
作られ発展していきます・・・少々複雑な気分ですが。
しかし、まだこの頃はパンも音数が少なくビューグルというピストンの無いラッパ等
を取り入れたりしてパレードを行っていたとあります。

1940年代初頭のバンドは、Slap Bass等(首から下げた缶を手のひらで叩く)を始め
とした、音階が余り無いリズム中心のバンドでした。コミュニティーごとに張り合い
ライバルバンド同士、またはサポーター同士が会うと喧嘩が始まる殺伐とした年代で
このあたりは間も無く発売される富田先生の本に期待しましょう。


この終戦を機に、ドラム缶を手に入れたSimonを始めとするPioneer達はこぞって
新しいパンを作り始めます、その中の新進気鋭の一人がEllie Mannetteです。
そして彼らの気運に呼応するように、一大イベントが企画されます。

1951年夏に開催された、大英帝国芸術文化博覧会(和訳が変かも知れませんご容赦)
植民地の文化を紹介するとでも言うのでしょうか、SteelBandの参加が決まります。

続く・・・・・

参考文献 Dr.F.I.R BLAKE著  Trinidad&Tobago History and Evolution